大友克洋の「AKIRA」という作品。
もうずいぶん古い漫画になってしまったのかもしれない。
「AKIRA」は、80年代に連載(…というより各巻描き下ろしだった)途中で映画が製作され、その後完結した漫画である。どんなエンディングが用意されているのか?それが見たくて映画館へ足を運んだ覚えがある。
「AKIRA論」は様々なところで交わされてるし、全て読んだわけでもない(というか本当にちゃんと読んでいない)。なのでここで展開されるのは、浅い私見と個人的思い出に終始する。
作品として大切にされていて幸せを感じる
ともかく大友克洋は、この「AKIRA」で一躍大メジャーとなり、先に書いた通り「AKIRA」の評論はあちこちでされているから、わざわざここでとやかく言う事もないだろう。ただ、ひとつほっとしたというか、良かったなあと個人的に思うことがある。
それは、この作品が一定のクォリティとパワーで破綻なく出来上がったことだ。
これだけの長期間に、ひとつの漫画を描き続けること自体大変なことで、それに作品として破綻なく仕上がるというのは相当のテンションと体力が必要だろう。
「AKIRA」はその影響力だけでなく、作品として出来上がったということ自体も喜ぶべきことだと思う。大友克洋のいくつかの作品が可哀想な末路を辿っている事は、80年代の熱烈な漫画ファンであればご存知かと思う。
もっともそんな事は今や知る人も少ないだろうが、よくぞこれだけ立派に作品として完成したと思う。(往年の大友ファンであれば分かってくれるか?笑)
そして「AKIRA」は文句なく名作である。
今となって分かる、黙示録的な恐ろしさ
80年代からはや30数年経ち、21世紀になって大友克洋の「AKIRA」について思うのは、「AKIRA」の劇中に出てくる悪ガキども(特に1巻あたりに出てくる金田、鉄男のグループ)が、現代の日本に実在することだ。
発表された当初は、「日本じゃ有り得ない連中だろうなあ」と思っていたのだが、同じようなぶっ壊れたマインドの連中が今はフツーにその辺にいる。東京で大爆発もなかったし、超能力者もまだ現れてないが「AKIRA」に出ていた悪ガキは現実に生まれているのである。
このシンクロニシティは「AKIRA」の時代設定が、現実になって凄みを増した。現実に2016年現在東京の大爆発はなくとも、それに匹敵する東北の大震災と原発事故は起こり、なんと東京オリンピック開催決定までも(しかも劇中と同じ2020年!)が現実になっている。
大友的ではないが、大作に見合ったエンディング
「AKIRA」では(私から見ると、ぶっ壊れた連中の)彼らが新しい世界を築くのだが、本当にそうならば、少なくとも私のようなおじさんは新世界に必要ないだろう。もちろん「AKIRA」の劇中では、おじさん連中は見事に淘汰されていた。
そして、今思えば大友克洋のこれだけの大作は後にも先にも(先にも…ないのかなぁ)これだけなのだ。それも関係しているのか「AKIRA」のラストは大友克洋の漫画の中でも、めずらしく一番未来や希望を感じさせる終わり方なのではないだろうか。
今一つ希望を言えば、「AKIRA」を再度大友克洋の手と今の技術でアニメ化して欲しい。死ぬまでに一度見てみたい。
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