さべあのま

さべあのまの世界について、漫画の中の「あのストーリーが」とか「ここの絵が」とか、部分部分を取り上げて「さべあのまの確固たる世界」を説明しようとすると、なんだか本当の良さが伝わるような気がしない。
ただ、80年代という背景を含めると、ちょっとだけ見えるような気もする。

さべあのまは、あか抜けている

80年代に花開いた、様々なジャンルの漫画と漫画家たちの中で、さべあのまは「フツー」の漫画だった。
でも、他の漫画家たちよりも、さべあのまは、間違いなく「あか抜けて」いたのだ。そして、そのさべあのまの世界の根底には「アメリカ大好き」がある。
さべあのまをご存知の方は、いまさら何を分かりきったことを…と言われるかもしれない。
でも80年代は、田中康夫を代表とする「アメリカ大好き」が席巻した時代だったのだ。そしてその時代に、さべあのまはピッタリはまっていた。
ただ、さべあのまの漫画の「あか抜けている」感は、「アメリカ大好き」だけからくるものではない。
「アメリカ大好き」は実は、ストーリーのベースなのである。そしてそこに独自のリズム感がプラスされることで「あか抜けている」感が増大するのだ。

もう一つのイメージ

さべあのまの漫画は、甘くてやわらかい漫画だ。間違いなく少女まんがだ。
もちろん、それが悪いわけじゃなくて、そんな「さべあのまの確固たる世界」が良い!といいたいのだ。
とはいうものの、さべあのまは、やさしいとか、やわらかいとか、叙情的だとかのイメージが強いのだけど、実は一遍だけ毛色の違った作品がある。

それは幻の漫金超という雑誌に掲載された作品で、今は『地球の午后三時』という短編集に収録されている。
(この短編集自体も、さべあのまの色とりどりの短編がちりばめられていて、楽しいのだ。)
タイトルは「I LOVE MY HOME」という読み切り短編があるのだが、その作品は読後感が妙に怖いのだ。

一般的な家庭のごく日常を描いているのだが、その家庭が不幸に向かう様をサラリと描いている。初めて読んだときは「え、あ、スゲーな」という簡単な印象を持った。
ごく日常って表現するのは結構難しい。かなり幅広い人々に「あぁ、あるある」と思わせなければならないのだ。それをサラリとやっている。
そのサラリ感と、不幸のプロローグとも言える最終コマの対比がより不気感を産んでいるのだ。
しかし、30年以上も前の「え、あ、スゲーな」を今もありありと思い出すというのもスゴイことではないだろうか。
やさしく、やわらかいあの絵で、こんなオチをサラリとかかれるとちょっと怖い。

「I LOVE MY HOME」は、さべあのまの、ある一面をほんの一瞬垣間見ることができる。そしてこの作品を知っているからこそ、私はさべあのまがいまだに気になるのだ。

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