大友克洋「さよならにっぽん」2

大友克洋の漫画はよくドライだといわれ、ここでもドライな表現だと言い放っているのだが、「さよならにっぽん」の中に収められている、「聖者が街にやって来る」は珍しくストーリーに若干ウェットさがある。

多くの大友克洋の漫画がドライであるのに対して、この「聖者が街にやって来る」はなんだか一般的なウェットさがある。ドライに対してのウェットと書いたのだけど、いわゆる人情話というやつで、日本人受けする…とされているジャンルである。
(21世紀の現在、日本人受けする…もどうなんだろう?)
読んだ当初はちょっとした(従来の漫画と同系統であるという)安心感もあったりしたが、なんとなく「大友ぉ~こんなの描くなよなぁ~」的な気恥ずかしさも同時にあった。

ドライという言い方をすればあぁなるほどなぁ…という理解になるけれど、「童夢」や「AKIRA」以前の大友克洋の漫画…つまりここでドライだと言う漫画は、私が思うに「意味」あるものへのアンチテーゼだった…のではないか?と思ったりもする。
それまで70年代に主流だった「主張」とか「主義」とか「意味」あるものがどうにも気に入らなかったのじゃないか?私はそんな風に思いながら「AKIRA」以前の大友作品を読んでいる。

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